前回はDTM&コンピューターミュージックの歴史の前段階である電子音楽の黎明期をしました。
電子楽器の黎明期の後の今回は戦後、DTM&コンピューターミュージックの黎明期の話をします。
とはいっても実際にDTMと呼べるようになるのは1980年代なのでまずはコンピューターミュージックの事を書いていきたいと思います。
それは戦後すぐに起こります。
もちろんまだコンピューターはありません。もちろん1940~1942年ごろにデジタル計算機自体は発明されていますが、まだその程度でした。
実用的なコンピューターがでてくるのは1960年代です。
ハモンドオルガンの登場の1934年から14年後の1948年、レコードを用いた「ミュージックコンクレート」という手法が出現します。
これは街中の音楽などの環境音を録音してレコードで編集するというコラージュ的な手法でした。
音楽というよりもアートといったほうが的確かもしれません。
はっきりと音楽といえるのはドイツの電子音楽スタジオで作られたカールハインツ・シュトックハウゼンの「少年の歌」などからといえます。
カールハインツ・シュトックハウゼンはドイツの現代音楽家
こちらが「少年の歌」
ん~・・・現代音楽って感じですよね。この難解さが。
こちらは先程のレコードではなく、テープを使ったものです。
テープはレコードと違い切り貼りがしやすくコラージュに適していたといえます。
日本でもNHK電子音楽スタジオができ「黛敏郎」などの現代音楽家が出てきます。
黛敏郎はミュージックコンクレートや電子音楽などにいち早く興味を示し、そういった流れを日本に紹介していました。
こちらはNHK電子音楽スタジオでシュトックハウゼンの来日によって作られた作品「テレムジーク」。
ただ、これらはあくまで電子音楽であり、コンピューターミュージックとは呼べるものの、DTMではありません。
コンピューターのプログラミングが曲に使われた初めての作品「イリアック組曲」が1957年に出ます。
ん?こっちは普通にクラシックに聴こえますね。。。
どうやら作曲自体をコンピューターが行っていて、演奏は人力なようです。
1951年に世界で初めてのコンピュータによる音響合成がアメリカ人「マックス・ヴァーノン・マシューズ」によって行われます。
彼はコンピューターのプログラミングによって音色を操ったり、音楽プログラミング言語MUSIC-Nを開発するなどその後の電子音楽の発展に大きく寄与します。
「音響合成」とは波形を変化させることでいろいろな音色を作り出すことです。
ちょっと堅い話になってきちゃいましたね・・・・・・
音色合成をみなさんに手っ取り早く説明するのに都合が良いのが「ファミコン」の音楽を使った説明ですね。
「ファミコン」とはそう、「ファミリーコンピューター」です。
この「ファミコン」で使われた。PSG音源というものを説明することでシンセサイザーの仕組みを説明できます。
次回は少し脱線をしてこの「ファミコンの音楽」をやろうと思います。
こちらはゼビウス・・・懐かしい
軽いウンチクを。
このゼビウスを作曲したのは慶野由利子さんという方、よくYMOの細野晴臣氏が引き合いに出されますが、細野晴臣氏は編曲であって作曲ではありません。
・・・細野晴臣さんを知らないと意味ないですよね。このウンチク。
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